履歴
福岡県北九州市門司市 生まれ
昭和50年 福岡県立小倉高校卒業
昭和53年 愛知県藤田保健衛生大学 医学部入学
昭和64年 愛知県藤田保健衛生大学医学部6年生で中退
平成6年 愛知県藤田保健衛生大学医学部6年生として再入学
平成7年 愛知県藤田保健衛生大学医学部卒業
同年 医師国家試験に合格
職歴
平成7年 藤田保健衛生大学第一病理学教室に在籍
平成8年 浜松医科大学 精神科 入局
平成10年 山梨県(財)三生会病院に勤務
平成14年 相模湖病院勤務
平成16年10月~平成17年3月まで理事長兼務
平成18年1月より北松戸メディカルクリニック勤務
平成19年1月より同クリニック院長
他 新潟県・埼玉県・宮城県等の病院にも勤務歴あり 合計 一都・十一県に勤務したことがあります。
17年かけて大学卒業
私は、休学時期も含め11年も大学生活を送りながら、卒業間近の6年生で中退してしまいました。
当時の藤田保健衛生大学は、毎日出席をとり、座席も指定、大学にもかかわらず制服があり、様々な校則にしばられて、自由さは全くありませんでした。
指定されたところ以外の席に座ると欠席扱いになってしまうという、嫌がらせまがいの行為もしばしばありました。
私は束縛されるのが大変苦手ですから、そういう管理主義の窮屈な校風にいまひとつ馴染めませんでした。
もっとも、今の藤田保健衛生大学はそういうことは無いようで、良い時代になったものだと思います。
とはいえ、それだけの理由で11年もかかるわけがありません。
その理由は「吉竹弘行の半生」をご覧ください。