オグリキャップが3日放牧中右後ろ脚を骨折し、死んだ。
笠松時代に主戦騎手だった安藤勝己氏は、今の自分があるのも あの馬のおかげと述べている。
オグリキャップは、最初は東海公営笠松に属していた。
その時に安藤勝己氏が主に騎乗し連戦連勝で中央入りし、有馬記念を2度勝利するなど
大活躍した名馬である。
見栄えがあまり良くないために300万円程度で取引されたと言われている。
私がこの馬の強さに驚嘆したレースが 、2つあるので今回ブログで述べさせてもらう。
最初は1989年11月19日の京都競馬場におけるマイルCSである。
最後の直線で絶望的な位置からバンブメモリーを差し切ったレースであり、
私がそれまでに見たレース中でこんな位置から差し切った馬は一頭もいなかった。
次は1989年11月26日の東京競馬場におけるジャパンカップである。
まず最初に驚いたのはG1レースの連闘であり、更に驚いたのはホーリックスには
僅かに及ばなかったが、当時の2400Mの世界レコード2分22秒2という記録を達成した。
ホーリックスの負担重量は牝7歳のため53Kgであり、オグリキャップは牡5歳だから
57Kgである。なお、馬年齢は当時の数えかたによる。
連闘による世界レコードであり4Kgも負担が多く、この事から考えてみても、
いかにオグリキャップが強かったかがお分かりになるでしょう。
この記録は約20年も破られなかったのである。
オグリキャップ死す
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