今日で真珠湾攻撃から70年の月日が経過した。
本日の毎日新聞の余録には、石原完爾の日米開戦間もないころの発言が、引用されている。
─ 財布に1000円しかないのに1万円の買い物をしようという日本と、100万円をもって1万円の買い物をするアメリカとの競争でしょう。たちまちだめです─
毎日新聞の余録では戦争責任者としては無責任となじっている。
しかしながら当時日米開戦を起こした戦争責任者は、みんな日米開戦には反対であったと現在では判明している。無責任となじることは簡単であるが、当時の状況を踏まえながら、どうして開戦になったかの経緯を考えなければば、思考停止と言えよう。
ハルノートをつきつけられ、禁油措置もアメリカから行われ、到底アメリカとは現在とは違い、同盟国ではなく、敵対関係にあったのである。
冷静に物事を判断すれば、アメリカとの国力差は歴然としており、開戦にはNOは当然である。
ハルノートを受け入れ、禁油が続けば、国際的地位が大きく低下し、国民生活もままならなくなる。すなわちどうにもならなく可能性が大きかった。
外国の識者には、こんな無茶苦茶な要求されれば、ルクセンブルグのような小さい国でも、アメリカに対して武器をもって立ち上がるだろうと述べたケースもあり、アメリカの日本に対しての要求がいかに理不尽なものかが窺われる。
もし戦わずして、ハルノートを受け入れ、アメリカの無理難題を受け入れ無条件降伏をしていたら、戦後の日本の繁栄が果たしてあったかは疑問に思う。
勝てない戦争をしたから無責任であるというのは一面的な見方である。
しかし開戦に踏み切ったことを私は肯定はしない。
当時の日本にとって、開戦するは無責任、戦わずして無条件降伏するはもっと無責任。
そういう日本は極めて苦しい状況であったと私は考える。
ヨーロッパでは第2次世界大戦の時に、フィンランドはロシアに攻め困れて、危うく国を乗っとられそうであったが、ロシアに対してフィンランドは勇敢に戦いを挑み、その結果、ヨーロッパの一部の国が、フィンランドを支援することになり、ロシアにフィンランドは国土の6分の1は奪われたものの独立国として生き延びることが出来たのである。
そのことを踏まえて歴史を考える必要があると思う。
真珠湾攻撃から70年
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