3月11日(金)の午後2時46分に発生した時に、私は埼玉県の本庄市にある病院に勤務していて、1階の医局に一人でいたのだが、横揺れがジワジワと続き、それから激しい縦揺れがかなり長く続いたが立っていられないほどではなかったが、医局のテレビが倒れそうになったので手で抑えた。
揺れからして比較的遠くで、大きな地震が起きたものではないかと思い、医局のテレビをつけて見ると三陸沖で、マグニチュード7・9の地震が発生したと報道されていました。最終的には9・0となった。
NHKの画面をみていると宮城県名取市近海で津波が押し寄せて来るシーンが、ヘリコプターから映されていて、どんどんと海辺に近づき、そして防波堤を軽々と越えて次々と家を押し潰し、道路や田んぼの区別は全く分からず、車は津波でひとたまりもなく押し流される。
このシーンを見ていると、不謹慎な言い方になるかもしれないが、映画の津波のシーンでも一瞬見ているのではないかと思ったくらいである。
しかしこれが現実かと思えば、ひたすらテレビの前で、呆然とするのみであった。
結局この日は本庄早稲田の駅の新幹線の中で一泊することになってしまった。
翌日早朝に長野県でかなり強い地震が発生したため、上越新幹線は朝からの復旧は困難となり、午前7時前にJR東日本の手配したバスで、本庄早稲田から高崎線の本庄まで移動した。
午前7時過ぎに運転を再開するというものの、なかなか再開されず、午前8時20分頃に運転は再開されたものの、踏み切りで一旦停車をするなどのノロノロ運転で深谷まで約1時間近くも掛り、普段なら10分程度であろう。
こういう調子だから、赤羽に着いたのが13時30分を過ぎていた。自宅に着いたのは14時30分を回っていた。
エレベーターで3階まで上がり自宅に戻ろうとすると渡りの通路が壊れ、通れず階段を降り1階まで戻り、また別の階段を上り自宅まで戻ることになった。
本当に疲れたが、被災者や亡くなられた方々のことを思うと私の疲労などは本当に些細なことである。
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